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マレーシア、バトゥパハ

今日は、ブログを休業しようと思ってましたが、小生が赴任していたマレーシアの
小さな町「バトゥパハ」の、昔について記します。

以前にも紹介しているので、その記事を知っている方には「又か」ですが悪しからず。

岩泉茶室

バトゥパハ(BP)は、1900年(明治33年)頃から、日本人が移民したそうで、
昭和初期には、日本人経営のゴム園と、石原産業の鉱石採掘で発展した町です。

昭和3年から7年頃、この町をこよなく愛した金子光晴が、毎朝通った茶室の
「岩泉茶室」です。

バトパハ「岩泉茶室」
前に立っているのは、当時の小生です。

光晴は、この岩泉茶室前の日本人倶楽部の宿泊所に寝泊りし、毎朝その正面に有る
この岩泉茶室で、コピー(コーヒー)とロティー(パンなれど今の日本で言うパンとは違う)を
食していたようです。

この建物も、小生の初回赴任時(1985~90年)は、写真の様に昔のままの建物
だったけど、2回目の赴任時(1996~2004年)には、町の美化との名目で
建て替えられていて、面影が無くなっていました。
(すみません、今日その写真が見出せずでした)

ちなみに KEDAI MAKAN とは食堂、KEDAI KOPI は喫茶店のマレー語ですね。


そして、日本人倶楽部の有った建物です。

旧日本人倶楽部の建物
バトパハの日本人クラブ址
この建物の3階で、屋上のドームの下辺りですが、1996年頃は、全く当時の
面影は無いですね。

路上の自転車の前に見えるベージュ色のマツダカペラ(5ドアーハッチバック)は、
当時の小生の車で、現地では、「626」と言う車名でした。

小生が赴任した1985年ころ、現地には小生の勤めていたSH社と関連の
キャビネットメーカーKI社、F通社、電子部品メーカーのM社など4社の
日本企業が進出し、町の発展を支えていて、昭和初期の町を支えた状態を
よみがえらせていた思いがします(税金と雇用で)。

小生にとってBPの食べ物は、マレーシア、シンガポールを含めても、
一番美味しくて、今でも食べに行きたいと懐かしく思っています。

それは、「ミー(ラーメン)」、「ドライミー(汁なしラーメン)」、
「ミーゴレン(焼きソバ)」、「クイティアオ(きしめんの様な炒めめん)」、
「ナシゴレン(チャーハン)」、「ロティチャナイ(マレーシア風ナン)」、
「オタオタ(辛味のあるソーセージ風ヤシの葉蒸し魚肉)」、「イカンバカール
(辛いヤシの葉蒸し魚)」・・・・・その他色々!


関連書物
・「地球の歩き方」マレーシアブルネイ編(ダイヤモンド社)P184~5辺り
・「マレー蘭印紀行」(金子光晴著、中央文庫)
 等




おまけ!

イヨイヨ小の帰国。

小生帰国挨拶
帰国挨拶
小生が2回目の赴任を終え帰国(2004年)する際、現地従業員前での挨拶を
しましたが、アガリましたね。

以上、つまらない記事でしたかね。
勘弁しとごれ!

DEN
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非公開コメント

No title

うん。BPは本当に食べ物美味しかったね。
また食べに行きたいよ。
DENさんが挙げたのもだけど、あの、大根もちの炒め物もうまーーーす。

Re: wocean 2さんへ

本当に食べたいねー!
あれ、何て言ったっけかなー。

日本からだと、マレーシア格安航空のエアーアジが使えるので、もう一度行きたいね。
生牡蠣も食べられるし!

DEN
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